01|地震の概要
2026年7月、熊本を再び大きな地震が襲いました
2026年7月28日16時27分ごろ、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード7.1(暫定値)の地震が発生し、震源の深さは16km、宇城市と氷川町では最大震度7を観測しました。気象庁はこの地震とその後の一連の地震活動を「令和8年熊本地震」と命名しています。熊本県内で震度7が観測されたのは、2016年の熊本地震以来10年ぶりのことです。
発災から2週間以上が経過した現在も地震活動は続いており、8月10日午後6時時点で、災害関連死の疑いを含めて39人の死亡が確認され、避難所には約6,092人が避難しています。気象庁は震度5弱程度以上の地震への注意を、当面のあいだ呼びかけています。強い揺れを経験した地域では、家屋の倒壊や土砂災害の危険が依然として残っているため、復旧作業や片付けの際にも十分な注意が必要です。
医療の面でも影響は小さくありません。熊本県が8月2日時点で公表した資料によると、県内では医療機関242施設、薬局107施設で物的被害が確認されています。断水・停電・建物の損傷・道路事情の悪化が重なると、普段は当たり前に利用できていた薬局が、一時的に営業できなくなることもあります。こうした状況の中で被災地の医薬品供給を支えているのが、次にご紹介する「モバイルファーマシー」です。
M7.1地震の規模(暫定値)
震度7宇城市・氷川町で観測
349施設医療機関・薬局の被害計
02|モバイルファーマシー
「薬を運ぶ車」ではなく「動く薬局」
モバイルファーマシー(Mobile Pharmacy、日本語では「災害対策医薬品供給車両」)は、簡単にいえば薬局に必要な機能を車両の中にそのまま備えた「動く薬局」です。段ボール箱に入った医薬品を運ぶだけの車ではありません。調剤台や医薬品の保管棚、分包機といった通常の薬局設備に加えて、車両によっては自家発電機、蓄電池、ソーラーパネル、給水タンク、医薬品用の冷蔵設備までも搭載しています。そのため、電気や水道などのライフラインが損傷した地域であっても、一定の条件のもとで薬剤師がその場で調剤や医薬品の供給を行うことができます。
この仕組みが生まれた背景には、2011年の東日本大震災があります。大規模災害では薬そのものが不足するだけでなく、薬局自体が被災して調剤設備を使えなくなったり、薬剤師が駆けつけても持ち運べる医薬品の種類や量に限りがあったりする問題が起こりました。そこで宮城県薬剤師会が、医薬品と調剤設備を搭載してそのまま現場へ移動できる車両という発想を考案し、モバイルファーマシーが誕生しました。
モバイルファーマシーが大規模災害で初めて出動したのは、2016年4月の熊本地震です。以来、各地の薬剤師会や薬系大学が車両を整備し、2026年3月時点で全国に24台以上が配置されています。日本薬剤師会は2025年10月に「モバイルファーマシー運用指針」を制定し、車両の維持管理や派遣の優先順位づけ、平時の点検体制などを全国的に調整する役割を担っています。つまり熊本は、日本におけるモバイルファーマシーの災害医療の歴史そのものと、深いつながりを持つ地域なのです。
搭載されている主な設備
調剤台・医薬品保管棚・分包機のほか、車両により自家発電機、蓄電池、ソーラーパネル、給水タンク、医薬品冷蔵庫などを備えています。
運用の仕組み
所有・管理するのは薬剤師会や薬系大学で、平時は点検・訓練を行い、災害時には行政からの要請を受けて被災地へ派遣されます。
03|令和8年熊本地震での出動
県境を越えて集まったモバイルファーマシー
今回の令和8年熊本地震でも、モバイルファーマシーが実際に被災地へ出動しました。熊本県が7月31日にモバイルファーマシーの派遣を熊本県薬剤師会へ要請したことを受け、熊本県薬剤師会のモバイルファーマシーは8月1日から宇城市の防災拠点で活動を開始しています。さらに8月2日からは、福岡県薬剤師会が八代市の総合体育館で、宮崎県薬剤師会が氷川町の健康センターで、それぞれ支援活動を続けています。
災害医療というと、救急車や救命救急、手術などを思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし大規模災害では「いつもの治療を止めない」ことも同じくらい重要です。避難するときに薬を持ち出せなかった、家の中に薬が残ったまま取りに戻れない、かかりつけ薬局が被災した、道路が寸断されて薬局まで行けない――こうした出来事は、災害時には決して珍しくありません。
特に、高血圧や糖尿病、心不全、不整脈、てんかんなどでは、自己判断で薬を中断すると病状が悪化することがあります。またインスリンのように、温度管理が必要な薬もあります。モバイルファーマシーは、こうした患者さんの治療をできるだけ途切れさせないための医療インフラのひとつなのです。現地で活動する薬剤師は、炎天下の中でも被災した薬局の代わりに調剤を行い、目薬や湿布薬といった一般的な相談から、不眠の訴えへの対応まで、1日あたり20件前後の相談に応じているといいます。
04|お薬手帳
いざというとき、お薬手帳が命綱になります
避難所や救護所で薬剤師が患者さんから相談を受けたとき、大きな手がかりになるのがお薬手帳です。普段飲んでいる薬について「血圧の白い薬」「朝に飲む丸い薬」と覚えていても、その情報だけでは薬を正確に特定できないことがあります。同じような形や色の薬は数多く存在するからです。薬の名前、量、1日に飲む回数、処方した医療機関などが記録されたお薬手帳があれば、初めて対応する医師や薬剤師でも、これまでの治療内容をすぐに把握することができます。
これは単に「薬の名前がわかる」というだけの話ではありません。腎臓や肝臓の機能、年齢、アレルギー歴、他の薬との飲み合わせによって、同じ病名であっても適切な薬は一人ひとり異なります。お薬手帳があることで、災害時の限られた時間の中でも、その方に合った薬を安全に選びやすくなるのです。
紙とデジタル、両方を活用する
紙のお薬手帳を使用している方は、非常用持ち出し袋の近くなど、いざというときに持ち出しやすい場所に置いておくとよいでしょう。スマートフォンのお薬手帳アプリを利用している場合も、災害時には充電切れや通信障害が起こる可能性があります。重要な薬を服用している方は、薬の一覧を紙でも保管したり、薬袋や処方内容の写真を保存したりして、情報を複数の形で残しておくと安心です。
特に注意が必要な薬
- インスリンなど、温度管理(冷所保存)が必要な注射薬
- てんかんの発作を抑える薬など、急な中断が症状悪化につながりやすい薬
- 向精神薬や睡眠導入剤など、量の調整に専門的な判断が必要な薬
- 血液をさらさらにする薬(抗凝固薬・抗血小板薬)など、飲み忘れ・飲み過ぎの両方に注意が必要な薬
05|避難生活の注意点
けがだけでなく「持病の悪化」にも注意が必要です
地震による健康被害は、発災した瞬間のけがだけではありません。避難生活が長くなると、睡眠不足、ストレス、食生活の変化、運動不足、脱水などが重なり、持病が悪化することがあります。特に今回のような夏の災害では、熱中症への警戒が欠かせません。熊本県も、避難所における飲料水の確保、トイレ環境の改善、スポットクーラーなどによる空調対策、熱中症やエコノミークラス症候群についての注意喚起を進めています。
熱中症
高齢の方はトイレに行く回数を減らそうとして水分を控えてしまうことがありますが、暑い環境での水分不足は熱中症だけでなく脱水による体調悪化にもつながります。一方で、心不全や腎臓病などで水分量を制限されている方は、単純に「多く飲めばよい」とも言えません。ご自身の病気に合った水分のとり方を、可能な範囲で医師や薬剤師に確認しておきましょう。
エコノミークラス症候群
車中泊を続ける場合、長時間同じ姿勢でいることで下肢の静脈に血栓ができることがあります。可能な範囲で足首を動かしたり適度に歩いたりし、水分制限がなければ適切に補給することが重要です。息苦しさ、胸の痛み、片脚だけの強い腫れや痛みが現れた場合は、速やかに医療スタッフへ相談するようにしましょう。
このほか、慣れない避難生活での睡眠不足やストレスは、血圧や血糖のコントロールにも影響することがあります。「なんとなく体調が優れない」と感じたときも、災害だから仕方がないと我慢せず、早めに相談することが持病の悪化を防ぐ第一歩になります。
06|薬剤師の役割
薬剤師は「薬を渡す」だけではありません
災害時の薬剤師の仕事は、処方された薬を準備することだけにとどまりません。日本薬剤師会によれば、被災地の薬剤師は救護所での医薬品供給、医療チームの避難所巡回への同行、一般用医薬品に関する相談、集積された医薬品の仕分けや管理、行政との調整など、幅広い活動を担っています。避難所の衛生環境の確認や、エコノミークラス症候群を防ぐための啓発などに関わることもあります。
2016年の熊本地震では、全国の都道府県薬剤師会の協力により、延べ2,774人の支援薬剤師が派遣されました。2024年の能登半島地震でもモバイルファーマシーが活用され、全国から13台が出動し、延べ4,000人を超える支援薬剤師が活動しています。熊本地震で本格的な一歩を踏み出したこの仕組みが、その後の災害を経験するたびに全国へ広がってきたことがわかります。そして2026年、その仕組みが再び熊本で使われているのです。
モバイルファーマシーは非常に有用ですが、被災地にあるすべての薬局を一台で置き換えるものではありません。限られた車両、人員、医薬品を、どこに、いつ配置するのかという調整が欠かせないため、行政、地域の薬剤師会、病院、診療所、救護所、医療チームが情報を共有しながら、地域全体で医薬品供給を組み立てています。目指しているのは、モバイルファーマシーだけで医療を完結させることではなく、地域の病院・診療所・薬局が復旧し、通常の医療が再び機能するまで、患者さんの治療が途切れないようにつなぐことです。
07|今日からできる備え
私たち一人ひとりが今からできる「薬の防災」
災害はいつ起こるかわかりません。しかし、お薬については平時から準備できることがあります。まず、ご自身が現在飲んでいる薬の名前と用法を確認しておきましょう。お薬手帳を活用し、薬が変更されたら情報を更新しておくことも重要です。複数の医療機関に通院している方ほど、薬の情報を一つにまとめておく価値があります。日頃から「かかりつけ薬局」や相談できる薬剤師を持っておくことも、災害時の助けになります。
・今飲んでいる薬の名前・量・用法を書き出し、家族とも共有しておく
・紙のお薬手帳は非常用持ち出し袋のそばに置いておく
・お薬手帳アプリを使っている方も、紙の控えや薬袋の写真を残しておく
・薬が変更されたら、その都度お薬手帳を更新する
・災害用に薬を多めに備えたい場合は、自己判断せず主治医・薬剤師に相談する
・インスリンなど冷所保存が必要な薬は、保冷剤・保冷バッグも準備しておく
そして実際に災害が起きたとき、「薬があと数日しかない」「薬を紛失した」「何を飲んでいたか分からない」といった問題があれば、ぎりぎりまで我慢せず、早めに医療スタッフや薬剤師へお伝えください。早く相談するほど、処方歴の確認や代替方法の検討など、対応の選択肢を確保しやすくなります。
「自分はどんな薬を、何のために飲んでいるのか」。今回の熊本地震を機会に、ご自身やご家族のお薬手帳を、一度確認してみてはいかがでしょうか。